メインページに戻る

すべての物語に始まりがある
キュービック創業者のストーリー
ジャスティン・リーチ( CEO /創業者)

1974-1992

シネマ・パラダイス

私は映画好きの父の息子として育ちました。「ニュー・シネマ・パラダイス(1988)」というイタリア映画がありましたが、我が家の場合、悲劇でない80年代のアメリカ版「シネマ・パラダイス」のようでした。

父が映画館を経営していたこともあり、私は幼少時代から映写室に行き、フィルムを送る映写機のけたたましい音を聞き、スクリーンに映し出される映像を見て育ちました。今となっては懐かしい思い出です。

父はシネマスコープの「ベン・ハー」や「スター・ウォーズ」など、珠玉の映画の16mmプリントを所有していました。なかでも「スター・ウォーズ」は私に多大な影響を与え、私自身が映画制作者になることを決めた決定打となったと言っても過言ではありません。

1980-2008

父の経営するビデオ店 「ビデオ・トゥー・ゴー」

父は中西部で初のビデオ店のひとつとなった"Video to Go"をオープンしました。私はそこで数多くの外国映画やアジアの映画、またアニメに触れ、それにより映画制作に対する視野が広がりました。

父はよく私をシカゴとラスベガスで開催された地元のCESショー(Consumer Electronics Show: コンシューマー・エレクトロニクス・ショー。50年以上続く全米ハイテク業界の祭典)に何度か連れて行ってくれ、私はそこで映画やゲーム業界について異なった視点を得ることができました。ある時はそこでスーパー・マリオの生みの親である伝説のクリエイター、宮本茂氏にも会うことができたのです!

1985

日本からの家庭用ゲーム機

70年代のゲーム機(アタリ2600、インテレビジョン、コレコビジョン)の人気が下火になった後、80年代の日本のバブル経済期に、任天堂のエンタテインメント・システムとセガのマスター・システムという新しい日本製ゲーム機が市場に登場しました。その後まもなく、ゲーム機はセガ・ジェネシス、NECターボ・グラフィックス(PCエンジン)といった16ビットに移行し、スーパー任天堂(スーパーファミコン)がゲーム機のパフォーマンスを次のレベルへに進めました。

ある日、トイザらスで偶然、その日発売となったNES(ファミリーコンピュータ)を見つけたのです。あの時の運命的な出会いは今でも忘れられません。夏の間ずっと近所のセブンイレブンでスラーピー(炭酸フローズンドリンク。米セブンイレブンの定番の飲み物)をすすりながらスーパー・マリオ・ブラザーズをプレイしていた私は、自宅で大好きなゲームができることを知り、感動に震えました。

1991

アニメ・ファンダムの開始

'80年代から'90年代にかけて、優れた映画やゲームが登場したのに加え、アニメの世界も黄金期を迎えていました。

anime posters
anime posters
anime posters

「アキラ」、「攻殻機動隊」、「獣兵衛忍風帖」、 「ロボット・カーニバル」、「メモリーズ」、「迷宮物語(サブ・タイトル:「 Manie - Manie 」)など は、日本のアニメに興味を持つきっかけとなりました。

anime posters
anime posters
anime posters
anime posters

1980-1992

宮崎駿作品との出会い

80年代に一見まったく関連のない体験の数々を通じ大いに私をインスパイアした映像作家がいました。それは、「クリフハンガー(「カリオストロの城」のレーザーディスク版)」という名のアーケードゲーム、ビズメディアから出版された「風の谷のナウシカ」の漫画、そして「 Warriors of the Wind (風の戦士たち)」というアニメ映画(風の谷のナウシカの改悪再編集バージョン)でした。

その後 1992 年、大学が始まって最初の週に、「天空の城ラピュタ」の上映にたまたま足を踏み入れ、私は圧倒されました。この映像作家にいて知るにつれ 、幼いころに私をインスパイアした人物と同じだとやっと気づくことになるのです。それは、宮崎駿でした。

1992-1997

美術大学時代

トイ・ストーリーがCGアニメーションの新時代を切り拓いていた頃、私は美術大学でコンピューター・アニメに目覚めました。在学中、アルフォンソ・キュアロン監督の「大いなる遺産(Great Expectations)」のプロダクション・アシスタントとして、実写版の映画制作の現場を垣間見る機会も得ました。

2005-2008

スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ:スカイウォーカーランチ

日本での数年の滞在を経てアメリカに帰国後、アビッド/ソフトイマージに短期間在籍。そしてその後、ルーカスフィルム・アニメーションに勤務。スカイウォーカーランチにあったこの会社では私は7番目の社員として採用され、CGスーパーバイザー職を務めることになりました。在職中、数多くの貴重なことを学び、新スタジオのオープニングやアニメ「クローン・ウォーズ」シリーズの最も印象的なキャラクターの誕生にも立ち会うことができました。

2013

プロデュース業への初めての取り組み

ブルースカイに復職後まもなく、リギング・スーパーバイザーとして働き始めました。2013年、ブルースカイの許可を得て、プロダクションI.Gに、湯浅政明監督の短編映画「キックハート」の制作を持ちかけました。これはキックスターターで約22万ドルを集め、クラウドファンディングを活用し成功した最初のアニメ作品となりました。この「キックハート」は、ペンデルトン・ウォードと湯浅政明氏との思いがけないコラボレーション、「アドベンチャー・タイム:フード・チェーン」の間接的なきっかけとなり、それがやがてアニメ制作会社サイエンスSARUの誕生につながりました。

2018

一世一代のチャンス

2016年、プロダクション I.G時代の同僚だった櫻井大樹と偶然再会。彼はNetflixの新しいアニメコンテンツ部門の責任者として勤務しており、私にオリジナルのアイデアを売り込む機会を与えてくれました。企画を共に協働した後、私は自身のIPをNetflixに売却。そして2018年、キュービックピクチャーズを創業しました。

我々のミッション

キュービックピクチャーズの成長過程に興味を抱き 、フォローしてくださっている皆様には心から感謝しています。夢を実現するための道のりは複雑であり多くの予期せぬ紆余曲折があります。その道のりを歩むには、スキル、情熱、そして強い信念が必要です。

伝統的な日本のアニメーションの技巧と西洋のストーリーの感受性に導かれ、文化の壁を越え、コアなファンのみならず世界中の人々に楽しんでいただけるトップクラスのアニメーションを制作することを使命としています。

すべてのコマに物語がある